〈老人〉の誕生。
一見奇妙なタイトルに見えるかもしれない。通常、老人は「なる」ものであって「誕生」するものではなく、加齢によって必然的に移行していくものとして理解されている。しかし、人は、年齢を重ねると直ちに老人になるわけではない。老人になるには、「老人」という観念が社会の側に用意されている必要がある。
例えば、似たような概念として「子供」をとろう。中世ヨーロッパには今私たちが考えるような「子供」は存在していなかった。徒弟制度の元、働くための修行にでられる年齢(7、8歳)になると、子供はもう「小さな大人」として扱われていた。
「子供」の観念が独立して形成されていくのはようやく17世紀にはいってから、年齢で区切られた近代学校教育制度の浸透によって、特別に保護され、性生活から切り離された、現在まで続く「子供」の観念が生み出されていった。そうした歴史的経緯を論述したのがフィリップ・アリエスの名高い著作『〈子供〉の誕生』であった。
そう、「子供」と同様に、「老人」もつくられなければならない。このエントリでは、ハワード・P・チュダコフによる労作『年齢意識の社会学』を参照しながら、「老年」への意識が特にアメリカで歴史的にどのように発達してきたかを見ることで、高齢者を取り巻く状況が大きく地殻変動を起こしている現在の日本へと投射させていきたい。

「それまで老人は長寿はもとより、豊かな人生経験と知恵の蓄積で尊敬をかちえてきた。しかし、科学と経済的合理主義が国民を変貌させるにつれて年配者に対する態度は尊敬と軽侮の混在から軽蔑へ、されには敵意に変わりさえした。こうした変化は老年がしだいに孤立した人生の一時期、還元すれば明確な年齢の境界に区切られた時期、として認識されたことに伴うものであった。」(P.Chudacoff, 1989,75)
部族社会の「長老」のような存在を思い浮かべてもらえばわかるように、多くの近代以前の社会において老人は長生きをしたという事実だけで社会の中で一定の尊敬を集める文字通り「一目置かれる」存在であることができた。いつからがその年齢か、という区分こそなかったものの、まだ絶対数としても希少な存在だった老人は、社会集団の中で特殊な位置を占めることができたのである。
しかし、19世紀半ば以降、進歩した老人医療と高齢者数自体の増加によって、こうした崇拝を集めるものとしての老人の姿は崩壊していく。医師は、肉体的、心理的、病理学的な見地から、老人を特別な治療を行う、「隔離されるべき存在」として扱うことを覚え始めていく。腰が曲がり、筋肉が衰え、皮膚に皺がより、致命的な疾病にかかりやすくなる老年の不可逆的な衰えに対して、医療は「特別扱い」をすることが必要だと感じ始めたのである。
そして事実、救貧院に入れられる老人の割合は、1864年から20世紀初頭の間に急激に上昇し、老人専用の施設(老人ホーム)は各地に建設されていく。老人は産業社会の「外」に置かれるようになっていったのである。
また、それまで「異常」なものとされてきた認知症の症状も、老人に広く見られる「一般的な老年期の症状」として認定され始める。チュダコフによれば、今でもよく使われる「年老いた」という言葉が、「頭と身体の衰弱」という含意を持つようになってきたのもこの頃である。
■「侘しい老年」の発達
こうして、産業化の進む社会でその産業労働から切り離されていった老人は、切り離されていった先で年齢の近い同胞集団を作るとともに、一個の社会的な年齢カテゴリーとしての一般性を高めていく。
1922年には、G.スタンリー・ホールが「老年期――人生の最終期」を出版している。今や脚光を浴びる老人学の開拓の助けともなったこの著の中では、「老年期」は完全に明確な区分として他の時期から区別され論じられている。
そして、都市化と産業化が進み、退職制度と年金制度が次第に整備されていく中で、生産能力が下がる高齢期は、「依存の時期」として暗く侘しいイメージを固着させてきた。
財産は失われ、友は世を去るか引っ越すかしていて、身内は少なくなり、功名心は潰え、残りの人生はあとわずか、そして死が一切にけりをつけるべく待ちかまえている--こんな人生の終焉は、希望を持ち独立心のある市民である賃金労働者を、あっという間に、希望のない貧しい人間へおとしめてしまう。
(Lee Walling Squires, Old Age Dependency in the United States, 1912, 28,29)
前途の希望を失い、絶えず患い、身内は少なくなり、死を待つだけの存在…資本主義の進展とともに、その光から排除され暗く先のない「老年期」の像が、この頃には一般的な観念として成立している。
平均寿命が伸びていく中で健康的な老人も統計的には増えていたはずだが、老人をとりまく歴史はそれほど単線的な発展を見せることはなかった。「老人」というカテゴリーの発生は、産業社会の進展の影を背負いながら、データと社会が織りなす複層的な現象として現れてきたのである。こうした「老人」の誕生の確定的な時期を、20世紀初頭のアメリカに見ることができるだろう。
■現代マーケティングとこれからの「老人」
ここまで、端緒のみとはなったが、老人という観念が「時間」「医療」「性」「労働」「居住空間」といった複合的な要素が折り重なって成立してきたことをみてきた。
こうした老人像の形成において、各種「調査」の与えた影響は大きい。
そもそも統計的調査の先進国であるアメリカでさえ、細かい生年月日や年齢を記録し始めたのは20世紀の初頭になってからである。医療の現場における測定データの収集とともに、公的機関が主導した統計的データの収集活動は、そのまま「老人」の像が固まっていく流れを牽引してきた。
そして、そこで得られた年齢に紐付いた各種のデータは、マーケティングデータに応用されていくようになり、それによって各年代の像も大きく左右される。人口構成の大きな変動層、例えばベビーブーマーのような「特別な」世代が現れたことも影響し、マーケティングデータの読み取りの第一優先軸が「年齢」であり続けてきた。
そして、現在、極端な高齢化社会を迎えようとしている先進国を中心に、高齢層へのマーケティングとリサーチへの期待は大きい。産業社会はそれまで「外部」へと隔離してきた老年期の人々をマーケティング的に「シニア」と呼びなおしながら、再度その内に取り込もうとしている。
しかし、これまで私たちが見てきた歴史から示唆されるのは、マーケティング(リサーチ)という営為と「老年」像の間には、なんの隔たりもなければ、覗き穴すらないということだ。シニアを「市場」として客観的に捉えようとする私たちの努力は、そのままイコール「老人」像の再構築の作業でもある。調査とデータと分析によって描かれていくシニア像は、私たちが今後生きていく社会のシニア像のなぞり絵となっていく。
もしかすると、その中でもっとも効果的なのは、冷静に、バイアス無く、「老人」を見つめようとする作業者の眼差しよりも、これまでに無かった「老人(像)」を積極的に創り出していこうとする熱のこもった意思なのかもしれない。マーケティング・リサーチが「社会的」営為であるかぎり、〈老人〉というカテゴリーはその眼差しと共に変化するものであることを示して、今回の社会学のすゝめとしたい。
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