週刊東洋経済2013年8月31日号の表紙には「職場の戦力か?お荷物か?ワーキングマザー」という言葉が躍っていた。ワーキングマザー歴10数年になる私にとっては、なかなか衝撃的な見出しであった。
そういえば、10年ほど前「子育ては損か、得か」という議論が勃発したときもあったなあ、などと思いつつ、子育てと仕事の両立(というか折り合いの付け方)は永遠の課題なのかもしれないと思っている。
もちろん、この議題については、個人的に考えるところもある。ただ、今回述べたい話はそちらではなく、私が立ち止まってしまったコピーの話になる。とは言っても、私はコピーライターではないので、あくまでもリサーチャーとしての視点から。
上記のコピーは「戦力か、お荷物か」「損か、得か」という対になっている言葉を使うことで、強さが生まれている。また、「お荷物」「損」など、反発を示す人がいるであろう言葉を使っていることもインパクトに繋がっている。
調査の場で、ステイトメント評価やコピーワード評価に携わることも多いが、この「不快感や恐怖、反発を受ける」と「驚きをもって受け止める、記憶に残る」の境界線は難しい。
前述は雑誌の例なので、インパクト重視だが、商品になると少し様相も変わってくる。
一般商品であっても、競合があふれる中、普通の訴求ではなかなか目に留めてもらえない。耳触りの良い言葉はそのまま流れて行ってしまう。「〇〇を使うとこんないいことがある」よりも、「〇〇を使わないとこんな怖い目にあう」の方がインパクトがあるのも確か。
では、恐怖訴求ともいえる「〇〇を使わないとこんな怖い目にあう」が有能かというと、そうとも言い切れない。
なぜならそこで受ける印象は、その商品の購入の有無だけではなく、その商品の背景にあるブランドやメーカーへの嫌悪感に繋がる可能性も秘めているからだ。他ブランドへの好意度に転換されてしまう可能性もある。
ブランドへの消費者の気持ちは、「認知」→「好意」→「購入意向」の順で進むことが多いが、購入意向を狙おうとして、その前段を崩してしまうリスクを抱えているのが恐怖訴求だと思う。
調査結果から恐怖訴求を推奨することは極めて稀である。グループインタビューを行い、1グループ6名中1名でも、「その存在・事実を知れて良かった、教えてくれてありがとう」という気持ちを示す者がいたときくらいだ。
大げさに言うと、その存在・事実を知っても知らなくても生活や人生に影響がないものであれば、恐怖訴求を全面に出すことは避ける方が望ましいと思っている。
では、恐怖訴求は一切使わない方が良いのだろうか。その場合、訴求の強さはどう補うのだろうか。
個人的には、ドキッとさせるコピーがありつつ、そのコピーをフォローするワードが存在しており、そこまで含めてちゃんと読ませる工夫が施されていることがベストなのではないかと思っている。
「興味を惹かれる訴求(少しくらい恐怖訴求でも可)に目が行く」→「ちょっと読むと単なる恐怖訴求ではなく、救いがあることに気づいてほっとする」→「恐怖を軽減してくれる商品として魅力に感じる」、という流れになる。
そんなことを考えながら、ふと以前読んだ本を引っ張り出してみた。少し古い本だが、『名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方(鈴木康之著 2008年)』。本の帯に書かれている「広告コピーは現代の高感度文章」という言葉に納得しつつ、再度読み返してみようと思う。
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