株式会社ジャパン・マーケティング・エージェンシー
企画部 アシスタント・ディレクター 小林祐児
各種統計調査から見て取れる現代日本の家族の様相について、前回の【少子化】編につづいて、今回は【高齢層】について見ていこう。
■内にこもる日本の高齢家族―核家族化から老後まで

●前段として―家族の「大切さ」の上昇
「高齢化」はそれ自体、比較的単純な現象だということができる。国民の平均年齢が上がっていく現象は、経済先進国の多くが現在経験している。しかし、その中で日本の高齢化現象の特殊な事情を理解するためには、高齢化の前にある、前時代的変化からみていく必要がある。
前々回の記事で論じたとおり、産業革命後に世界に広がり、日本でも戦後進んだ「近代家族化」の特徴の1つに、「公/私の分離」があった。これは、同時に進行した都市化・団地化という居住空間の再配置とともなって、プライベートな問題を処理するのは「公」の領域ではなく、「(核)家族」の領域である、とする親密圏の「家族への内閉」があったことを確認しておこう。
日本における近代家族化は、戦後の都市圏への大量移住に伴い、居住空間そのものの内閉(開かれた平屋から隣近所のない団地へ)と同時に起こったわけだ。その結果、「あなたにとって一番大切と思うものはなんですか。」の設問に「家族」と答える割合は戦後ほぼ一貫して上昇し続け、逆に、近所づきあいの程度は75年から見ても激減している(ともに下図参考)。
1_あなたにとって一番大切と思うもの.gif
統計数理研究所 国民性の研究全国調査より引用(http://survey.ism.ac.jp/ks/index.html)
2_近所づきあいの程度.gif
■乖離する親と子

こうした前時代的変化があったことを踏まえて、高齢化した家族の現状をみてみよう。
現在起きているのは、近代家族モデルがベースとしてきた核家族のさらなる解体である。
「望ましいと思う老後の生き方」をみると、「子供や孫とは、いつも一緒に生活できるのが良い(下図青線)」「子どもや孫といっしょに、なごやかに暮らす(上図青線)」と思う人の割合が減り、代わりに「夫婦2人で、むつまじく暮らす(上図赤線)」「子どもとは、ときどき会って食事や会話するのが良い」の項目が上昇してきている。
3_望ましいと思う老後の生き方.png
 NHK放送文化研究所 第9回「日本人の意識」調査(2013)
4_望ましいと思う老後の生き方老後における子供や孫との付き合い.gif
内閣府・高齢者の生活と意識に関する国際比較調査(2010)
上の二つの調査結果をみても、高齢になった親と子どもや孫の距離感は、「同居するのではなく、時々会うくらいがよい」程度のものへと変化していっていることがわかるだろう。内閉していった核家族から、成人した「子ども」は押し出されていく方向にシフトしてきているわけだ。「家族」が一番大切、という大傾向の裏に、こうした変化が起こっているのは非常に興味深い。
しかし、実はこうした日本の親子関係の乖離現象は、国際的水準から見ればまだまだ軽度な水準にある。前のエントリでも見たとおり、儒教の影響下にある日本は、戦後にあってもなお「家父長」の権力が大きい家族主義的な傾向にあったためだ。
例えば、スウェーデンでは同じ質問票を用いた調査で「子や孫といつも一緒に生活できるのがよい」が僅か3.7%、「ときどき会って食事や会話をするのがよい」が8割を越し、アメリカやドイツでも65%を超える(また、儒教の影響の同じく強い韓国は日本と同様の傾向が見られる)。つまり、日本の家族の親子の乖離にはまだまだ「伸びしろ」があり、今後もこうした個人主義の発達した国々へと徐々に近づいていくことが予想できる。
■「近居」という選択

そこで、親と子の生活のあり方で増えてきているのが、親との「近居」行動である。
5_別居している近い方の母親との距離.gif
上では別居する母親との居住距離が縮まっていることが見られるグラフを挙げたが、全体傾向として、親との別居は増えつつ、親との居住距離も縮まってきている。
高齢化にともなって、親世代との別居が増え、近居が選ばれる理由はなんだろうか。「子どもが親の面倒をみたがらなくなった」のだろうか。これまでの議論を踏まえ下のようなデータを見ると、別居の要因としては、どうやら親世代が子ども世代との生活価値の不一致を嫌厭する(遠ざける)傾向が一義的な理由としてあげられるようだ。
6_子ども世代と同居を希望しない理由.png
平成19年国民生活白書より引用
また、長引く不況により、子ども世帯の経済的安定性は逓減していく中、親からの援助を求めて「近居」の傾向が進んでいるものと思われる。
前々回の記事で述べた「個人」/「家庭」家族の二重構造の第二形態とも言える「近居」行動の高まりとは、なにより「家族」を大事にする日本人が親子の価値観の多様性に直面したとき、コミュニケーションの摩擦係数を下げようとする親心と、援助は受けていたい不安定な若年層の生活の交わるところ、と言うことができそうだ。
■希薄な老後の近所づきあい

次に、高齢家族の、家族以外の人とのつきあいかたはどうなっているだろうか。多くの日本人は60歳すぎに仕事を辞めてしまうため、ここでは近所の人とのつきあいかたについて見てみよう。
7_週に何回周囲の人と話をするか.gif
内閣府・高齢者の生活と意識に関する国際比較調査(2010)
8_近所の人と交流のある高齢者の付き合い方.png
内閣府・高齢者の生活と意識に関する国際比較調査(2010)
上の2つの図表から見えるのは、日本の高齢者の希薄な近所づきあいの様子である。特徴的なのは、日本の高齢者は、スウェーデンについで「外でちょっと立ち話をする程度」のポイントが高く、「物をあげたりもらったりする」が5カ国の中で最も高いこと。また、「病気の時に助けあう」「相談したり、されたりする」が他国と比べて低いのも特徴だ。
人口密度が極めて高く、近隣住民とのコミュニケーションの空間的制約が低い日本の住宅事情において、この近所つきあいの薄弱さは世界水準でみても特筆すべきことだ。「物」を介したコミュニケーション(この贈り物文化はマーケットとしては非常に魅力的だが)の数値が非常に高いのも、裏返してみれば、感情ベースではなく物ベースの儀礼的なコミュニケーションが日本人の近所づきあいの一端を示していると言えよう。
まとめよう。高齢化する日本の家族は「子ども」に頼る意識が下がっているにも関わらず、近所の人たちとも「物」ベースのちょっとした挨拶程度しかコミュニケーションしかとらず、困ったときに相談できるリソ-スになりえていない。それは、最初にみたように、高齢化に先立って、私領域の「家族への内閉化」が起きた、という前時代的な文脈が存在しているからだ。
結果的に、日本の高齢層は、子ども(血縁)にも近所の人(地縁)にも頼れない/頼らない極めて脆弱な状況に陥ってしまっている。前々回の記事で述べた家族の5つの社会的機能に則して言えば、「福祉・ケア機能」「パーソナリティの安定機能」のリソースを家族の「外部」に求めなくてはならない状況が現代の高齢家族に起こっていることの実際だ。
こうしたことが、国際的に見られる「高齢化」現象の中でも特殊的な事情として、年老いていく日本の未来に大きく影を落としている。