株式会社ジャパン・マーケティング・エージェンシー
企画部 アシスタント・ディレクター 小林祐児
「統計学」が空前のブームである。バズワード・ビッグデータの流行によって、統計解析へのニーズは様々なカテゴリで熱い注目を浴びているのは周知のとおりであろう。そこでこの社会学のすゝめでも、今回は統計的なトピックをとりあげたい。とはいえ話の舞台はビックデータの現代から遠く離れた、19世紀のヨーロッパだ。
統計学にかぎらず、人間の科学技術の発展は、常にそれを発展させた社会とともにある。
ただしここで見たいのは、「技術は社会の産物だ」というよくある社会反映論とも少し異なっている。統計学の興味深いところは、各種の統計データによって描き出された社会像そのものが、その社会の写し絵として当該社会成員に浸透し利用されていく、という点にある。
目に見えない概念である〈社会〉は常に、概念や数字に仮託されながら把握される必要がある。「どのように社会が表象されるか」もそれぞれの社会固有のリアリティを持つのであり、それはつまり「社会がどのように統計学を用いるか」も、社会学的な観察の対象となるということを意味する。
そこで今回は、統計学の中でも初歩中の初歩、「平均」という概念についての考え方について、「社会」の概念を通じて数字を見つめ、数字を通じて〈社会〉の姿を映し出そうとした社会統計学者の初期の論争を通じて、統計と社会の入り組んだ関係を紐解くきっかけとしたい。
■アドルフ・ケトレーの跳躍

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第一の登場人物は、ベルギーの数学者、天文学者、統計学者であるアドルフ・ケトレー(1796- 1874)だ。
ケトレーが生きた19年代初頭、統計学のフィールドは主に天文学にあった。優秀な天文学者であったケトレーは、スコットランドの兵士たちの「胸囲」を数千人分測定し、その数値の分布が、天体の観測結果(観測誤差)と同様に、正規分布を形成すると主張した。そして、その胸囲の測定値の分布を、「平均」の概念を用いて収束させることを説いたのだった。
今から振り返れば普通のことに思えるが、このことの何が新しさを持って受け取られたのかだろうか。
天文学における「誤差」には、宇宙に浮かぶ星々の単一の・客観的な状態という「正解」が存在している。
しかし、人間社会における胸囲の測定値の分布は、観測主体に起因するそのような「測定誤差」ではない。測定対象となる兵士たちそれぞれの個性と多様性の集まりをプロットしたものだ。ケトレーの新しさは、この人間集団の多様性を、〈平均値〉を用いることで一つの真の値へと収斂させて解釈することを発明したことだった
さらに自殺や犯罪といった社会的な事象の統計を測定したケトレーは、ベルヌーイによる大数の法則に依拠しながら、この平均への眼差しを〈平均人l’homme moyen〉という有名な、そして一方で悪名高き概念へと結実させた。
大数の法則とは、測定回数を増やすほど、経験的な確率と理論的な確率が一致していくというヤコブ・ベルヌーイによって定式化された定理である。ケトレーは、天文学の統計的知識を応用しながら、〈平均人〉というモデルを通じ、曖昧で多様な「社会」の姿に一定のリアリティを与えたのだった
観測対象側にある多様性を、観測側に起因する「誤差」と対比させ、そこから一つの実体めいたモデルへと収束させる。こう書いてみると、ここに一つの跳躍があったことがわかりやすい。統計学を通じ、「個別事例の差異を超える何らかの実態」として社会を捉えるという視座の歴史的な端緒として、ケトレーの重要性はある。この発想の貢献によって、ケトレーは現在「社会統計学の父」とまで呼ばれる場所に位置している。
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そして、ケトレーの天才はそれだけでは終わらなかった。ケトレーはこの「平均人」を〈正常な〉人間の状態、〈理想の〉人間像として捉え、「啓蒙が進むに連れ、平均からの隔たりは徐々に減少していき、ますます理想の(平均人の)状態へと近づいていく、と説いたのだ。
平均を「理想」へと置き換えるこのケトレーの第二の跳躍は、その後ヨーロッパで新たな論争を生むこととなった。
■ドイツにおける自由意志論争

そこでの議論の中心にあったポイントは、「人々の行動が〈平均人〉のような平均値に収斂してしまうのなら、個人の自由意志がどこにも入る余地がないのではないか」というものだった。
平均値によって人間のあり方が規定されるように捉えてしまえば、たと合えば自殺率が毎年一定の割合で生じる時、社会の自殺者数が個人の意思に関係なくあらかじめ統計的に決定されてしまうように見えてしまうではないか。
こうした点をめぐり、1860年代以降、経済学者のアドルフ・ワーグナー、統計学者ロナルド・フィッシャー、モリッツ・ウィルヘルム・ドロービッシュらの間で論争が巻き起こる
その論争の詳細をたどることは差し控えるが、ここですこし足を止めてみると、この問題は、マーケティングリサーチにおいて定性調査の結果と定量調査の結果を天秤にかける際、私たちが直面する問題のすぐ近くにある。
例えば、「定性調査のデプスインタビューの1名」と「定量調査の1,000サンプルの平均」を比較するとき、私たちは代表性や統計学的知識、またはそのデータを利用するマーケティング的失敗/成功といった観点から、どちらの意見を重視するかを決定している。今も昔も、「量的な平均」と「質的な個人」を対比させる作業は人々の頭を悩ませ、その2つをどのように結びつける(べきか)という思想的な課題でさえあったのだ。
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そして、この問題への考え方はおおまかに言えば2つに分けられるだろう。(1)「平均」と個人はつながっていると考えるか、(2)「平均」と個人を切り離して考えるかだ。ただこれでは大雑把にすぎるので、19世紀の統計学者たちの思考を借りつつもう少し分解しよう。
(1)の考えでは、大数の法則を下敷きにしたケトレーのように、測定対象(サンプル)が多くなればなるほど、平均を見ることで個人的差異や偶然といった要素に左右されない「本来的な」全体像が把握できると考えられる。一方、(2)の考えでは、人間の行動のような複雑な現象に対して、自然法則のような規則性を当てはめることはできず、全体と個人は切り分けて考察するべきだと考える。
おそらくマーケティングリサーチャーの立場に移してみれば、(1)からは定量的な発想が、(2)からは定性的な調査の発想が産まれてくるだろう。しかしこの場合の問題は、「どちらの手法が適切か」という問題に収斂された瞬間に、含意を失ってしまう。
この問題は、「定量調査も・定性調査も両方実施する」というバランス感覚の「手前」に位置し、個人と全体を結びつけるロジックの是非と、その上にある「社会をどのように見るか/見たいか」という思想的な課題が包含された問題としてあった。
19世紀の統計学の熱い論争を巻き起こしたこの問題はその後、どちらという正答がでたというよりも、「分散」への着目や、下位区分への区分分けなど、統計的検証・操作の高度化へとつながっていった。現在、われわれが利用する統計的な操作技法の発展の背景には、こうした社会(全体)と個人(部分)に対する歴史的な論争があったことは覚えられていていいだろう。
■「個人」と「社会」は対義語か

上で紹介したケトレーの論争をその端緒の例として、個人と全体社会がどう関連づけられるべきかという問題は、社会学のさほど長くない歴史においても、「方法論的集合主義vs方法論的個人主義」「社会唯名論vs非実在論」「マクロ-ミクロ問題」といった対立へと変奏され、繰り返し浮上してくるようになった。社会学の基礎的な「社会」概念にまつわる問題だが、そう簡単に決着がつく話ではないようだ。
たとえば、以前にも登場してもらった社会学者のエミール・デュルケームは、上で紹介したケトレーの「平均人」のモデルを痛烈に批判したことで知られている。
だが、晋仏戦争後の荒廃したフランス社会を「道徳」の役割を解明することで再統合しようとする意思に支えられていたデュルケーム社会学は、「社会という全体」が個人へ与える影響を追求し、「社会実在論の祖」としても扱われる。二者択一の問題に片付けられない、複雑な様相を見せるこの問題についての詳細は、機会があればのちにとりあげていきたい。
統計技術史というストーリーにおいては脚注へと追いやられてしまいがちなこうしたもう一つのストーリーは、社会と個人を、定量と定性を、部分と全体を比較する私たちの思考の背景にあるものが、過去の偉人たちの思考とつながっていることを思い出させてくれる。
現在の統計操作による〈全体〉の写し絵も、ビッグデータにおける〈平均〉の解釈も、連綿と続く歴史の先にしか位置しないことを垣間みたところで、今回の社会学のすゝめとしたい。

【参照文献】
重田園江 2003、『フーコーの穴―統計学と統治の現代』(木鐸社)
イアン・ハッキング、2013 『確率の出現』 (慶應大学出版会)