企画部 アシスタント・ディレクター 小林祐児

春山茂雄「脳内革命」、
スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣」、
茂木健一郎「脳を活かす勉強法」…


いずれも大ベストセラーとなった著作なので、目にした/読んだことのある方も多いのではないだろうか。今回試みてみたいのは、こうした「自己啓発書」の社会学的な視点からの読解である。


その前段として、前回、戦後日本社会における「自己」の状況について、次のようなことを述べてきた。



都市化と郊外化によって、〈流動性〉の高まった戦後の日本社会は、社会的行為の裏に常に張り付いている共通前提をなくし、行為の内的準拠の高まり――「自己」以外に参照する点をなくしていくこと――を帰結してきた。


そして、そのように肥大化した自己は、それまでと同じように振る舞うわけにはいかなくなる。社会の過剰な流動性が要請する過剰な負荷に対応するべく、自分自身を管理、統制、コントロールするための新しいスキル・方法が求められるようになる。それはそれまでの非流動的な社会においては要請されなかった「新しい自己コントロールの仕方」である。



その具体的な「自己コントロールの方法」として今回とりあげるのが、冒頭にあげたような「自己啓発書」である。その内容の変遷は、社会における人々の「自己」への考え方の変遷と相関する。今回は、牧野智和によって昨年上梓された『自己啓発の時代――「自己」の文化社会学的探求』に則りながら紹介していこう。



■ジャンルとしての自己啓発


まず、概況として確認できるのは、「人生訓」「自己啓発書」といったジャンルの出版点数が、戦後ほぼ一貫して増加しているという事実だ。母数となる出版総数も増加しているとはいえ、それ以上の増加率でこれらのジャンルの出版点数は伸びてきている。早くも、この傾向から早くも「社会の心理学化」と共振している印象を受けるのだが、それはひとまず置いておいておく。


欧米では、「天は自ら助くるものを助く」で知られるサミュエル・スマイルズ「西国立志編」(1859)に始まり、デール・カーネギー「人を動かす」(1936)、ナポレオン・ヒル「思考は現実化する」(1937)などの古典的ベストセラーがあったが(これらが邦訳され日本に輸入されるのはかなり遅く、この欧米と日本で受容タイミングのズレも面白い)、自己啓発後進国(?)の日本は、独特の歴史をたどってきた。紙幅の関係上ざっくりとにはなるが、その歴史をたどってみよう。



■初期「自己啓発史」


戦後日本における、自己啓発書の担い手たちは誰だっただろうか。
それは、伊藤整、三島由紀夫、三木清などの哲学者・文学者が中心であった。さらにそこから、松下幸之助から三鬼陽之助など、現在でもビジネス界で神格化されている実業家や経済評論家へと自己啓発書の書き手は移行していく。

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このころまでの自己啓発書には、以下の二つにまとめられる特徴がある。


1. この時期の自己啓発本は、哲学者や実業家、宗教家など、「語りの内容」よりもむしろ「語りの担い手」に重点が置かれていた。


このころの自己啓発書の著者たちは、ざっくりとまとめてしまえば「エライ人」である。教養や知識を持っていると思われる社会的認知の高い分野での成功者が、人生を幸福に過ごすための知恵を授けるパターンが多かった。「何が書いてあるか」よりも「誰が書いたか」にその啓発効果の源泉があったと言ってもいい。そのことが、第2の特徴につながっていく。


2.人生をより良いものにするべく、心構えの変更が推挙されるのだが、それはまだ方法論としての具体性には欠けていた。


例えば、1968年のベストセラー、三鬼陽之助の『決断力――迷った時、経営者はどうしたか』を見よう。その論述は「成功者は孤独に耐えて成功したのだ」→「だから孤独に耐えるべきだ」、「失敗者は孤独に耐え切れず失敗したのだ」→「失敗したくなければ孤独に耐えるべきだ」といった、具体的方法論は欠如した単純なものであった。このころの自己啓発書の受容のされ方が、方法論よりも先に「この人が言ってるんだから」といった「誰が」に重点を置かれていたことを物語っている。

こうした自己啓発の系譜では、(往々にして著者自身である)「成功者」への憧憬と実績が、「心構え」レベルの緩いロジックで提示された方法論の効果を補完していたようだ。1.でふれたような著者自身の後光効果によって、その内容は具体的な自己変革の方法までは踏み込むことは少なかった。


そして、80年代後半、バブルの時代へ突入した日本では、自己啓発本に求められるものも変わってくる。


バブル期の自己啓発本に求められたのは、一言で言えば「心の充実」にあった。
好景気に跋扈する消費主義の浮ついたムードの中で、享楽的な軽薄さから精神的な豊かさを求める願望が芽生えてくる。そうした「心の充実」を求める願望にフィットしたのが、河合隼雄「こころの処方箋」 五木寛之「生きるヒント」永六輔「大往生」などのベストセラーであった。こうしたバブル期の「心への注目」を経て、日本の自己啓発本は次のフェーズへと向かっていくことになる。



■「脳内革命」の革命(1)



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そして90年代半ば、日本の自己啓発本史は大きな転換期を迎える。
そのメルクマール的出来事が、春山茂雄「脳内革命」(1995)の大ヒットであった。


「脳内革命」の自己啓発書としての新しさはまず、1.心構えや緩やかな精神論ではなく、ポジティブ思考やイメージトレーニングといった実践的技法によって「自己」を変革(革命)させよう、という具体的な操縦術の提示にあった。


そこでは、「脳内モルヒネ」といった脳内分泌物による効果を用いて、心の充実や心構えの問題規制を「スキル」によって克服・変更していこう・いけるという態度が、「脳科学的な根拠付けとともに提出される。こうした論述の具体性は、それが科学的に正しいか誤りかという問題とは別に、社会的地位の高い「著者」の権能によってあやふやな精神論を説いていた時代の自己啓発書と比べて大きな跳躍であった。


その後、自己を「実践的な働きかけの対象」として観察し、そのコントロール技法を教示する自己啓発の方法論は、ダニエル・ゴールマン『EQ-心の知能指数』、リチャード・カールソン『ちいさいことにくよくよするな!』、そしてスティーブン・コヴィーによる『7つの習慣』の邦訳などにも引き継がれ、以後の自己啓発書の大きな潮流を形成することになる。



■「脳内革命」の革命(2)


そして、「脳内革命」の第2の特徴は、そうした脳科学的なロジックと、「人智を超えた」超越的法則のきわめてアクロバットな接合がなされていた点である。


マイナス思考によって脳の分泌体のメカニズムが悪い方向へ傾き現実の失敗を招くとき、その因果を説明するために、「神」や「創造主の意思」が持ちだされる。


「これはたぶん、神様が理想とする生き方にあった者だけが生き残れ、それにあわない者はできるだけ消していこうとするメカニズムが、遺伝子というかたちで身体の中に残されているのだと私は解釈しています。」 『脳内革命』:29頁


脳科学をベースとした具体的方策、技術によって自己の内面を変革するという明確な意志を持ちつつ、その限界を「人智を超えた超越的法則」によって補完する…。牧野が「万能ロジック」と呼ぶこうしたロジックを見て気付かされるのは、「自己」と「世界」の間隙が一足飛びにジャンプされ、その間の媒介物がなくなっていることだ。


七田眞による類著『超右脳革命―人生が思いどおりになる成功法則』でも、まったく同じロジックが反復され、その後のジェームズ・アレン『原因と結果の法則』や、江原啓之『人はなぜ生まれいかに生きるのか』などのスピリチュアル系自己啓発書まで引き継がれていくことになるこの作法は、前回までの議論と照らしあわせると、きわめて興味深い符合を示している。



■自己のテクノロジーと脳内革命


今みた脳内革命の2つの特徴をふまえつつ、前回の議論を思い出そう。


家族や血縁、地縁のような、「自己」と「世界」の間にあったものは、都市化と郊外化、そして情報(の個別)化といった戦後日本社会の急変によって空洞化していった。その結果、自己の他に準拠するものを持たなくなった自己の内的準拠が肥大してきた。


『脳内革命』はそうした自己の肥大化した社会において、自分自身を管理、統制、コントロールする新しいスキル・方法、〈自己のテクノロジー〉の新しい形態として登場してきたものとしてみることができる。


『脳内革命』に見られた特徴1.「心」をコントロールしようとする具体的な技法は、「自己」の操作可能性を広げることで複雑化した社会に適応しようとする適応反応であり、特徴2.「自己」と「世界」を短絡的に結びつける超越的なロジックは、その空洞化した社会の様子を反映している。


「自分しか頼るもののない」、内的準拠を高めた〈自己〉は、その性質を自らコントロールすることを強く願望しはじめる。それはつまり、「願望そのものを変更することへの願望」だ。そこには、以前の日本にあったような「社会」や「環境」を変革するような発想はまったく無い。「世界に生きるわたしの不幸」は、「わたし(という自己/脳/心)が生み出しているもの」でしかない。『脳内革命』は、自己が自己の幸せのために自己を変革するという孤独な闘いに要請された、空洞化した社会の武器だったのである。



『脳内革命』以降も隆盛を極めていく自己啓発書の歴史にこれ以上ふみこむことはまたの機会に譲ることとするが、自己啓発書というメディアは、「自己」を社会がどのように観察しているかを見る上できわめて面白い素材である。そこでは、宗教、ビジネス論、心理学、脳科学といったさまざまなツールが駆りだされ、さまざまな方法で〈心〉や〈自分〉を社会に適応させていく様子をみることができる。その変遷に、社会に翻弄され社会を抹消していく〈自己〉の叫びを垣間見ることをもって、今回の社会学のすゝめとしたい。



【主な参考文献】
牧野智和「自己啓発の時代――「自己」の文化社会学的探求」