株式会社ジャパン・マーケティング・エージェンシー
企画部  小林祐児(コバヤシ ユウジ)

「エスノメソドロジー」という言葉を聞いたことがあるだろうか。


マーケティング・リサーチ界隈でも時折参照されるので、本メルマガの読者の中には耳にしたことがある方も多いかもしれない。だが、その使われ方を見ていると、しばしば以前紹介した「エスノグラフィー」と混同されていることも少なくない。


そこで、今回のエントリでは、〈エスノメソドロジーとは何か〉をテーマとして取り上げたい。



■社会学の中のエスノメソドロジー


まずは定石通り、教科書的な説明から入ってみよう。
エスノメソドロジーは、アメリカの社会学者ハロルド・ガーフィンケル(1917-2011)が20世紀半ばに創りだした社会学の方法論の一つである。


そのエスノメソドロジーであるが、社会学の学派の中でも、歴史的に周縁的とまではいかないが、やや特殊な位置を占めてきた(研究者の数も、社会学の他分野と比べて少ない)。その特徴の第一に、「何を研究対象としているのかがわかりにくい」ことがあるだろう。


社会学内部の諸分野において、家族社会学なら「家族現象」について、都市社会学なら「都市」について観察するという簡潔さがあるが、エスノメソドロジーは観察対象を「これ」と一言で説明しづらい性格を持っている。それがしばしば「エスノグラフィー」と混同される要因にもなっているのかもしれないが、ここで一旦、エスノメソドロジーが観察の対象とするものを短く言い表しておこう


エスノメソトロジーの研究対象.gif

簡単に言えば、エスノメソドロジーは、人びとが日常的に行なっているやり取り(相互行為)が、どのように成り立っているかを観察・記述する。人々が日常世界を構成するその仕方、その実践を、具体的なレベルにおいて研究していくのがエスノメソドロジーの基本方針である。(※1)


これだけでは表面的な説明にしかなっていない。エスノメソドロジーの視点の特異性をよりよく理解するために、「秩序問題」という問題を経由することで、より核心的な部分へ近づいていきたい。



■ホッブズの秩序問題


人文科学で「秩序問題」といえば、近代政治思想の大家、トマス・ホッブス(1588-1679)がその主著『リヴァイアサン』とその他の著作で提出した「ホッブズ問題」という思考実験が最も知られている。政治の話以外でもしばしば参照されるのでご存じの方も多いだろう。


ホッブズはまず、国家も法もいかなる制度もない、原初的な段階(「自然状態」と呼ばれる)にある人々を想像してみる。そこにおいて人々は、個々人がそれぞれの利得を考えて行動するため、互いに利害が対立し、反駁しあい、「万人の、万人に対する闘争」が起こってしまう。この悲劇を防ぐため、人びとは「社会契約」を必要にするのだ、とホッブズは説いた。



■秩序問題のバリエーション――ダブル・コンティンジェンシー


上のホッブズの秩序問題は、政治学の古典的議論として知られるが、社会学における秩序問題は、もう少し日常的で卑近なバリエーションとして考えられてきた。


その最も代表的なものが、タルコット・パーソンズというアメリカの理論社会学者が提唱した「ダブル・コンティンジェンシー(二重の偶発性)double contingency」の問題である。


ダブル・コンティンジェンシーとは、相互行為において人々が行為を決定するとき、ある自我の行為が他者の行為に依存しており、他者の方もその行為を自我の行為に依存してしまう、という問題である。


下の図で分解して考えてみよう。

ダブル・コンティンジェンシー.png

いま、AさんとBさんが、ある行為を行おうとする時(例えば挨拶をしようとするとき)、Aさんは、「その行為を行うとどうなるか」を考えて挨拶をするかどうかを決める。つまり、Aさんは、「その行為(挨拶)に対してBさんがどう振る舞うか」を予期できなければ、行為が決定できないはずだ。


しかし、その状況はそっくりそのままBさんにも当てはまる。つまり、AさんはBさんがどう思っているかを想像して振る舞いを決定するが、そもそもBさんもAさんがどう振る舞うか想像して振る舞いを決定する。こうして、Aさんが考えるBさんの予期には、Aさん自身の予期が含まれてしまうわけだ。そして、そのBさんの予期に含まれるAさんの予期の中には、Bさんの予期が含まれる。そして…。


この互い違いに連なっていく予期の入れ子構造は、どこまで予期を重ねても解消されず、不思議な無限ループのように、行為の最終的な決定を妨げるはずである。これが、行為が相手の行為に依存し、その相手の行為も自分の行為に依存してしまうことで行為が決定不可能になる、ダブル・コンティンジェンシー=二重の偶発性の問題である。



■ダブル・コンティンジェンシーのパーソンズ的解決


このダブル・コンティンジェンシーの問題について、パーソンズはどのように考えていたのだろうか。


パーソンズは、その主著の一つ『社会体系論』において、ダブル・コンティンジェンシーに対して次のような解決を与えている。
パーソンズの回答.jpg
つまり、「挨拶されたら挨拶かえすべきだ」という共通の価値がAさんにもBさんにも内面化されているため、Aさんは挨拶されたら挨拶しかえすことができ、「挨拶をしあう」という相互行為は秩序づけられる。パーソンズはそのように考え、こうした秩序を可能にするパターンを一般化し、社会システムとして理論化しようと試みた。


だが、このパーソンズの考えは、後に多くの理論的批判にさらされることになる。


最も多かった批判は、「共有されている価値が変化する余地がない」ということだった。


「挨拶をしたら挨拶をしかえすべき」という価値規範が社会成員の前提的なコードになっているとすると、その価値、コードはどのように変化するのか。また、社会成員にとって、「価値が共有されている」ということはどうやってわかるのか。パーソンズの理論はこうした点をうまく説明することができないものだった。



■「秩序問題はすでに解決されている」


当初タルコット・パーソンズの元で学んでいたハロルド・ガーフィンケルは、この秩序問題を機に、パーソンズとは全く違う方向に舵を取る。ガーフィンケルはダブル・コンティンジェンシーに対し、次のような発想の転換を行う。

ガーフィンケルの回答.jpg

ガーフィンケルにとって、秩序問題は、人びとの日常的な実践によって現に「解決されている」ものであり、それは社会学者以外からはそもそも「問題」ではない。むしろ、そうした秩序問題が人々によって「どのように」解決されているか(=「人びとの方法論」)を観察し、記述することこそが社会学の本懐と考え、エスノメソドロジーという方法論を編み出したのだ。


そのために、エスノメソドロジーは、社会成員とは関係のない研究者自身の論理(「共通の規範・コード」や、分類基準などを外から持ち込んで判断しない、「エスノメソドロジー的無関心と呼ばれる禁欲的姿勢を奨励する。



■エスノメソドロジーの観察


では次に、もう少し具体的な場面を想定して、エスノメソドロジーが何を観察するかを説明してみよう。

何名様ですか.gif

という何度も繰り返されてきたおなじみの会話を思い起こしてもらいたい。
これが例えば、次のようであったらどうだろうか。

70億1千万人です.gif

と客が地球の総人口を答えたりすると、これは完全にジョークとして店員に受け取られるだろう。


客と店員は、居酒屋に入った瞬間から、その着ている服(制服を着ているか、カジュアルな服装か)や、身のこなし(どの方向を向いているか、視線の位置はどこにあるか)、移動してくるタイミング、人と人との距離感、身振り手振りなど、様々な情報と知識の方法論を総動員し、「何名様ですか?」から始まる会話を秩序付けている。


このシーンで地球の総人口を答えたりすることが一つの「ジョーク」として説明されうる(accountable)ということも、人びとによってこの場面が秩序だっているということの証左である。なぜなら、秩序がなければ、それは「ジョーク」ですらない、ただの理解不能な振る舞いだからだ。人びとが日常的に使っているが気づいているとは限らない(seen but unnoticed)こうした方法論的知識こそ、エスノメソドロジーが記述しようと試みるものである。



■「インデックス性」とは何か


エスノメソドロジーと通常の社会学との違いをもう少し際立たせるために、エスノメソドロジーにおける「インデックス性」という概念を取り上げてみよう。


インデックス性とは、人々の言語活動における「あれ」「これ」「私たち」などのように、文脈によって大きく意味が変化する性質を言う。文脈依存性、コンテキストへの依存性と呼び変えてもいいだろう。


実は、通常の社会科学や、マーケティング・リサーチを含む調査等の営みの中で、われわれはこのインデックス性を消去することに努めている。


例えばマーケティング・リサーチのグループ・インタビューの中で、「あれ、そんなに買わないんだよね」という発言があったとしよう。


この発言は、そのままではリサーチの目的に適うものではない。モデレーターや書記は「あれ」が何を示しているのか、「そんなに」がどれくらいの頻度・量を意味しているのかを判断し、時には再度対象者に確認の質問を投げかけた上で、「商品Pを買うのは週に1,2回程度」といった客観的な表現に変換する。


こうして、いつ誰が読んでも意味が通じるような形式で保存することによって、初めてマーケティング・リサーチの報告書のリソースとして利用することができるようになる。このように、その場の文脈に依存した表現を、文脈に依存しないよう補正することを、ガーフィンケルは「インデックス性の修正」と呼んだ。
インデックス性の修正.gif

マーケティング・リサーチや、通常の社会科学は、「客観性」の名のもとに、こうしたインデックス性の修正を慣習的に行なっている。



■エスノメソドロジーとインデックス性


しかし、エスノメソドロジーは、こうした「インデックス性」を、全く別の角度から捉える。


エスノメソドロジーにとって、こうした「インデックス性」は、「本来正しく言うべきところを省略してしまっている」といったものではなく、人々の相互行為を秩序づけるきわめて重要な実践の一つとして考える。会話者は、「あえて」インデックス性を含ませた表現にすることで、日常的な対話を成り立たせている。


例えば、サザエさんのエンディング曲の中に、「タラちゃんちょっとそれとって」というフレーズがある。
これは「それ」「とって」など、極めてインデックス性の高い(文脈に依存する度合いの強い)表現である。


このインデックス性を修正して、例えば次のようにしたらどうなるだろうか。


「タラちゃん、あなたから見て東南の方向にある机の中央部分に置かれた黒色の醤油差しを今すぐ私の手まで運んできて。」


戸惑って、まだ拙い日本語で聞き返すタラちゃんの姿が容易に想像できるだろう。


サザエさんとタラちゃんの間の秩序にとっても、普段の挨拶にとっても、我々の日常生活の秩序付けにとってインデックス的表現は、その場に適切な形で実践的に活用されているのである。エスノメソドロジーは、社会科学の多くがノイズとして修正してしまうこうした文脈性に対し、より積極的な意味を見出し、貴重な研究材料として利用していく。



■エスノメソドロジーから会話分析へ


ここまで、エスノメソドロジーの特殊な関心のあり方とその方針をざっくりと説明してきた。そして、エスノメソドロジーの潮流の中からは、「会話分析」という方法論がさらに分出してきた。より具体的にエスノメソドロジーの観察をうかがい知ることができるはずだが、紙幅が尽きたので、次のエントリで紹介することにしたい。


【参照文献】
前田泰樹・ 水川喜文・岡田光弘編 『エスノメソドロジー――人びとの実践から学ぶ 』(新曜社)
西阪仰『心と行為――エスノメソドロジーの視点』 (岩波書店)
ハロルド・ガーフィンケル 『エスノメソドロジー―社会学的思考の解体』 山田富秋訳(せりか書房)


【脚注】
※1 ここでは挨拶の例を上げたが、エスノメソドロジーが観察する場面は、こうした日常的な場面に限定されるというわけではない(この点はしばしば誤解される)。実際のところ、エスノメソドロジーの祖であるガーフィンケルは、陪審員として選ばれた市民がいかにして「陪審員らしく」振る舞うことを実践するか、という非日常的なシーンの観察から、エスノメソドロジー的方法論を開始している。