株式会社ジャパン・マーケティング・エージェンシー
企画部  小林祐児(コバヤシ ユウジ)

現代社会に漠然と蔓延する、犯罪被害への不安感。


今回のエントリは、「犯罪にまきこまれることへの不安」と、「その不安の根拠が見当たらない」という二重の意味での「気味の悪さ」を抱えるこのトピックについて、前回に引き続いて考えていきたい。


前回のエントリでは、「犯罪統計における〈暗数〉」をキーワードとしてあげ、統計における〈暗数〉の存在によって、犯罪に関する警察統計がきわめて扱いにくいものになってしまっていることを説明した。この事情により、「犯罪が減っている/増えている」という事実的な確認は、警察統計によっては判別しにくくなってしまっていることを示した。


今回詳述するもう一つのキーワードは、「〈安全〉と〈安心〉の区別」である。


だが、そのキーワードに踏み込む前に、前回少しだけふれた「もう少しまともな」統計データに少しだけ目を通しておこう。



■暗数測定のために――国際犯罪被害調査(ICVS)――



前回紹介した犯罪被害の「暗数」の問題をクリアにするべく、ヨーロッパでは80年代末から国際犯罪被害調査―ICVS(International Crime Victimes Survey)という国際調査が立ち上がっている。これまで世界で78カ国が実施しており、日本政府も「犯罪被害実数(暗数)調査」という名称で、平成12年から参加・実施している。概要は以下の表にまとめてみた。


 犯罪被害実態(暗数)調査の概要.png

調査に少しでも通じる方ならば、この概要だけでも相当のコストがかけられた調査であることがわかるだろう。
この調査の特徴は、(1)法律上の犯罪定義とは異なる独自の定義で測定しているため、データ間の国際比較が可能になっている点である。また、(2)警察統計とは異なり、警察方針などに左右されることが無く、一定の安定感と信頼感を担保している。以下のその結果を抜粋しよう(ちなみに、第三回調査の回答率は62.0%)


過去5年間・調査前年の前半罪の被害率.png

このグラフを見ると、まだ3回分とはいえ、犯罪被害率は毎回5%近く下がってきており、実際の犯罪も減ってきていることが示唆される。また、詳述は紙幅の関係上避けるが、凶悪犯罪やその他不安意識に直結しそうな種類の犯罪についても、増加の動きは見られない。



■犯罪不安のパラドックス



どうやら、客観的な事実として、日本の犯罪は減ってきている。すでに死語となった感のある「安全神話」は、どうやら存命し続けているようだ。
しかし、その中で人びとの不安は安らぐことなく、「防犯対策」市場は拡大を続けているように見える。
減る犯罪、増える犯罪不安。この逆説的な事態の理由はなんだろうか。このメカニズムを解き明かすために、2つ目のキーワード、「〈安全〉と〈安心〉の区別」に進もう。



■「気味悪さ」と「プライバシー」のトレードオフ



当たり前のことだが、人びとが防犯対策を行うには、金銭的コスト・時間的コスト・心理的コストなど様々なコストがかかる。そのコストに対するベネフィットは、一般的に「サービスを受ける人の安全確保」と思われがちだ。
だがここでは、防犯対策の真のベネフィットを、「安全の確保」ではなく、「サービスを受ける人が安心を得る」という心理的な効能として見てみよう。ここで、〈安全〉と〈安心〉を次のように明確に区別することが肝要になる。
 

安全と安心.png

まずはこの「安全/安心」の区別をしっかりと携えつつ、さらに次に進んでいく。



■犯罪不安の循環構造



街中で睨みを効かせる監視カメラ。
防犯パトロールカーは「空き巣狙いが増えています」と叫び、
立て看板には「痴漢発生!注意」の文字が踊る。


こうした景観を見るとき、人はどんな気持ちがするだろうか。おそらく気持ちがいいものではない。暗い夜道を歩いているとき、「ひったくりに気をつけて!」の看板が目に入ると、後ろから近づいてくる足音から思わず早歩きで遠ざかりたくなる。誰しもこうした経験に身に覚えがあるのではないだろうか。


こうした防犯のための諸々の施策は、もちろん地域の〈安全〉というベネフィットの最大化のために施されている(はずだ)。
しかし、〈安全〉ではなく、〈安心〉の面に重点を置いて考えると、こうした施策の上のような心理的効果は見逃せないポイントになってくる。「犯罪不安」があくまで心理的な事象であることを考えれば、「防犯対策がかえって人びとの〈安心〉を阻害する」というこの構図は、このエントリにとって核心的な重要さを帯びてくる。次のようにまとめよう。


犯罪不安の循環構造.png

「治安対策」とそれによる「街の外観変化」は、往々にして人びとに漠然とした「不安」を引き起こさせる。そうして生まれる「不安感」は、さらなる治安対策へのニーズを生み、さらなる防犯対策を現実化させる…。犯罪が減っても消えていくことのない不安意識のパラドクスの一端には、こうした循環する不安喚起の構造がある(※1)。



■底の抜けた〈安心〉



〈安全〉とは、危険が無い、という客観的な事実ベースの概念であった。しかし、主観的予想(推測)である〈安心〉は、0.1%でも「危険がある」とその人が感じた瞬間に失われてしまう。いくら危険の可能性が低いことがわかっていても、想定される被害が大きければ大きいほど、不安感は頭をもたげてくる。


幼い子どもを持った親たちは、携帯に飛び込んでくる「近所に不審者発生」のお知らせに神経をとがらせる。これまで無かった防犯ネットワークが、不安の種をリアルタイムに更新しつづけていく。


その運動に「底」は無い。「完全な安全」は事実としてありうるかもしれないが、「完全な安心」は、もはや訪れること無く、不安は凪と嵐を繰り返しながら、循環の輪を回り続ける。


たとえ、治安が年々向上し続けていたとしても。



■予言の自己成就



このように、社会というものは往々にして「客観的な事実」とは相関せず、まるで無関係に動いていくことがある。「客観的な事実」を確定させるのは常に難しいものだが、それと「社会的な事実」が位相を異なるものにしているということは、これまで多くの社会学者が指摘してきた。


そのような代表的問題として、社会学で有名な「予言の自己成就」がある。
アメリカの社会学者R.K.マートンが提唱したもので、社会心理学の分野にも応用され、次のような例が知られている。
 
ある銀行について、根拠のない支払不能の噂が広まることで、預金者が一斉に預金を引き出してしまい、最後には実際に銀行が倒産してしまう。認識上の錯誤とそれに基づく行為が、錯誤を実際に現実化してしまう(※2)。


予言の自己成就.png

マートンの予言の自己成就のように、「人びとの根拠のない錯誤」「事実と異なる予期」も、それを前提に社会が回りはじめると、現実的な実効力を持ち始める。上であげた例では、銀行が支払不能になった時点で、このスパイラルは終わっている。だが、「底の抜けた」犯罪不安のスパイラルに、終わりが来ることは決してない。



■最後に



最後に、面白いデータを引用しよう(浜井・芹沢2006)。 


2年前と比較して犯罪が増えたか.png

この調査は全国を対象とした無作為抽出で実施されたものだが、居住地域について、犯罪が「2年前と比較して犯罪がとても増えた」と回答した人は僅か3.8%であった。対して、日本全体について聞いた場合では49.8%の人が「とても増えた」と回答している。「自分が住んでいる地域以外では、治安は悪化している」と全国の人が考えている、ということだ。実に歪んだ奇妙な現象が、この日本の治安意識の回りで起こっている。



人間が持てる技術を発展させ、自然を操作できる圏域が広くなっていくごとに、「予知可能」「コントロール可能」「予防可能」な領域は広がっていく。しかし、それらは常に「予知不可能」「コントロール不能」「予防不能」な領域を取り残していき、それらへの不安はいつまでたっても尽きることはない。いくら科学が発達しても、心霊が都市伝説として生き残るのと一緒である。


ゲートで家を囲み、監視カメラで全てを記録し、すべての人の指紋を管理し、「実際に」治安が限界まで良くなったとしても、わずかでも残る「可能性」は、人びとの心に不安の影をまとわせていく。「ひったくり注意」の立て看板の裏に潜む、亡霊のように。


【脚注】
(※1)このような、ある事象が意図とは真逆の負の効果をもたらすことを社会学では「逆機能dysfunction」と呼ぶ。一般的な例としては、先進国が経済的自立のために施す後進国支援政策が、実際には、後進国の先進国への依存を促進してしまうことなどが挙げられる。
(※2)犯罪についても、「痴漢注意」の貼り紙に欲望を喚起されてしまう痴漢のように、犯罪予防が犯罪を実際に引き起こす、というパターンもある。まさに予言の自己成就なのだが、ここではそれについては触れないことにする。


【参照文献】
浜井浩一・芹沢一也,2006,『犯罪不安社会―誰もが「不審者」?』 光文社新書.