株式会社ジャパン・マーケティング・エージェンシー
定性調査部 ディレクター インタビュアー 吉田 聖美

最近何週か続けて雑誌を衝動買いしている。同じ雑誌ではなく、カテゴリーもバラバラ。
しばらく、雑誌を購入するということが減っていた気がするのだが、何の変化だろう・・・

近年、私の情報入手ツールは、ネットに集約されている。購買行動自体もネットに依存している。

飲食店を探そうと思ったら「食べログ」を見るし、旅行の宿泊先を探すにも「楽天トラベル」を見る。書籍は「amazon」で購入し、週に1回の生協の配達もネット注文。洋服や靴もネットで買ってしまうし、DVDもネットで借りている。

飲食店、宿泊先、DVD、書籍など、いくつかの候補の中からの選択が必要なときは、必ずと言っていいほど、ネットの口コミを参考にしている。もはや、それ無しでは選べなくなっているような気さえしてしまう。

「依存」という言葉がぴったりだ。

このネットを情報源とする傾向は数年前から継続されているのだが、最近の自分の傾向として、どんどん「ネットサーフィン」をしなくなってきた。

少し前までは、何か気になることがあったときに、どこかのポータルサイトを利用し、画面上に並んだ複数のサイトの中からいくつかのサイトに飛び、そこで気になる言葉などがあると、最初の検索目的とはズレている気がしつつも、更に違うサイトに飛んだりもしていた。

最近はどうだろうか。調べたいことがあるとまずグーグルを開いて検索し、いくつか挙がったサイトの中ではウィキペディアを優先的に見る、など、行動が単一化している気がする。
知りたい情報に向け、一直線に進み、寄り道はしていない。
○○に関する情報であれば、○○サイトが一番、など自分の中で最短の道が決まっていて、そこを通ってばかりいる。

もちろん、効率的ではあり、物事を調べるために必要な時間は削減されている。
ただ、問題に対する答えしか入手していないため、自分の知識を広げることにも深めることにもなっていないのではないかという懸念が残る。

最近「へえ~」と感嘆したり、今までとは違う興味を覚えたりするのは、同じネット上でもフェイスブックやツイッターなど、誰かが情報として拡散してくれたことが中心になっている。それも、知識を広げるほど、自分の中で噛み砕いているのかと聞かれるとそうではなく、何となく表層を流れて行っている印象がある。

最初に述べた雑誌の騒動買いだが、実は情報に辿り着くまでの道が単一化、最短化、直線化していることへのフラストレーションが溢れ出した形なのではないかと思っている。
答えを求めるためではない情報に餓えているのではないだろうか。

インターネットの存在により、情報の量は無限に増えた。
が、増えすぎると結局何を信頼すれば良いのかわからなくなり、この情報を入手するのであればこのサイトという巨大サイトが出現してきた。

そこに依存することが続いていたが、今、その便利さに少し疲弊感が出てきているとしたら、次はどのような流れに向かっていくのだろうか。

何となくではあるが、電車の中吊り、店頭POP・・・自分の生活の中に何気なく存在しているアナログなものの中に、楽しさと発見を見出していく比重が高まっていくのかもしれないと思っている。