株式会社ジャパン・マーケティング・エージェンシー
定性調査部 ディレクター 梅津 順江(ウメヅ ユキエ)

思想家の吉本隆明さんが、3月16日に亡くなられた。

娘のよしもとばななにはなじみがあるが、隆明さんには「ばななさんのパパだったんだ」という認識しかなかった。

吉本隆明は社会主義の影響が強かった60年代に大衆の欲望を肯定する独自の思想を構築したり、80年代には当時マイナーだった漫画などのサブカルチャーを支持したり、戦後の若い世代や社会に大きな影響を与えた先駆的な思想の持ち主であったという。
膨大な数の著書も残されており、その一つに『言語にとって美とはなにか』がある。

この主著において、彼は「言語はすべて"自己表出"と"指示表出"にわけられる」と語っている。
言語には、二重性や二面性があると提示。「独りで語ったり、感動したりするときの表現は"自己表出"であり、他人とのやりとりや日常会話、外に向けた伝達や説明となれば"指示表出"である。」という。

言語にはそれぞれ次元があって、相手を意識して生まれたコミュニケーションを前提とした言語は、吉本隆明の言うところの"指示表出"にすぎず、それよりさらに本質に近いところに存在している"自己表出"を意味するものではない。
木に例えると、根っこや幹に相当する部分は、むしろ"自己表出"の部分で、究極の"自己表出"は「沈黙」である。

その文脈からみると、Twitterやブログは無防備であり、無意識のホンネ部分も多く出やすい。究極の"自己表出"たる「沈黙」に近い存在といえるため、あれこれ想定されて化粧をほどこした言語よりも、はるかに面白い。

一方、コミュニケーションを前提とした"指示表出"は、それだけ意識され化粧され、加工がほどこされており本質から遠い。しかし、「いわれてみれば」「気づかなかったけど、そういえば・・」「そういう考えもある」という気づきや発見を得ることができる。
オンラインにおける「2ちゃんねる」や掲示板のように外に向けた表現なので、例えると枝や葉にあたり、それが優れた演出によるストーリーとなれば、花や実になる。

MROC(Market Research Online Communities)でも、独り言のように無邪気につぶやけたり、一日をじっくり振り返って思いを綴ったりできる場と、メンバー間で一つのテーマを議論したり、投票したりするコミュニティが分かれている。
ツイート機能やブログ機能はまさしく言語の"自己表出"であり、タスク機能やコミュニティの場は"指示表出"にあたるのではないか。

MROCでは自分の内面(ホンネ)を吐露したり、自分の生活や買い物行動を表現したり、日常的にメンバーの意見や刺激を受けて気づきを得たり、自分の考えを伝えたり、が一つのプラットフォーム内でできる。そして、それらの内的思考や行動、外的刺激が行き来する場なので、展開に及びやすいというポテンシャルもある。

隆明さんの著書『言語にとって美とはなにか』に出会い、また一つMROCに次元の違う有意性がある気がしてきた。
依然として、「対面ではないので(表情・目線・しぐさなど)非言語の情報や変化が見えない」というデメリットは残るが、新しい言語の表出形態として面白いと思える視点が増えた。要は使い方次第だと思う。

ホンネや気づき・発見を得たり、消費者を理解したりするのに、MROCがなし得る可能性は大きい。

吉本隆明さんのご冥福をお祈り申し上げます。