株式会社ジャパン・マーケティング・エージェンシー
GI部 ディレクター インタビュアー 梅津 順江(ウメヅ ユキエ)
東日本大震災の発生から、7ヵ月余りが過ぎた。

震災時に職場(渋谷)にいた私は、「家に帰れず、帰宅難民」「電車が動かず自宅待機」という経験をした。
しばらくは、「水やガソリンなどの調達が困難」「多くの犠牲者や被災者の方に心が痛む」「節電のため消灯・省エネを心がける」という状況も続いた。
しかし、5月の連休あたりからは、自粛ムードの反動も手伝い、旅行に行ったり、ショッピングを楽しんだり、と通常の生活に戻った。そして、今ではすっかり震災の頃の記憶は薄れてしまっている。
先日、宮城県仙台市を訪れる機会があり、震災当時のことや現在の様子などを、現地の方にうかがった。多くの方は、平常心を取り戻しつつ、もとの生活に戻ろうと、前向きさを感じさせる面もあったが、被災状況や復興のレベル差は大きく、まだ、心理的なストレスを抱えている方もおり、それが拭いきれない様子も感じさせられた。
なぜ、記憶は薄れていくのだろうか(今回のような世界的規模の災害が、忘れ去られることはないと思うが)。なぜ、記憶には差が生じてしまうのか。
人間が学習する際にどのように理解し、記憶するかというメカニズムを明らかにする『認知心理学』とよばれる研究分野がある。それによれば、記憶には"短期記憶""長期記憶"という二つの貯蔵庫があるという。

短期記憶(STM, short-term memory)
新しい情報はまず"短期記憶"に蓄えられるが、この貯蔵庫は一時的に情報を保存するだけで、容量に限界があるため、覚えた情報はすぐに忘れられてしまう。
長期記憶(LTM, long-term memory)
長期にわたって保持される記憶。いったん"長期記憶"に貯蔵されると、容易に忘れることはなく、膨大な量の情報を保存できる。

日常的に起こる小さい地震は"短期記憶"、つめ痕を残した東日本大震災は"長期記憶"に当てはまるのではないか、と思われる。
では、<記憶が薄れた者><まだ忘れられない被災地の方>との違いは、どのように考えたら良いだろうか。
推測の域を出ないが、記憶の濃度差は、「報道や余震による反復学習」「生命を脅かされた体験の有無」「他の情報による関心の分散」の3つが大きく影響しているのではないだろうか。


1)現地での余震や報道は、反復学習
度重なる余震は、現地の方々を常に『恐怖』という緊張状態に晒していた。
また、3.11の報道番組によっても、記憶がリマインドさせられた。余震や報道が繰り返されるたびに、記憶が上書きされ、強化していったのだと思われる。
2)生命を脅かされた体験が強い
単純に、生命の維持に直接関わった体験をした者としていない者との違い。
心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic stress disorder:PTSD)までいかずとも、衝撃的な体験による心の傷は癒えにくいのではないか。
3)他の情報による関心の分散の問題
首都圏では、震災のショッキングな映像に触れるタイミングが早かった一方、震災以外の情報に晒されるタイミングも現地よりも早かった。
他の情報(新しい記憶)によって、震災の情報(古い記憶)が弱まっていった、と考えられる。

仙台訪問を通して、「現地にとって、震災はまだ終わっていない」ということを実感できた。一方、"記憶"の違いを整理・分析することで、「記憶や印象は、月日とともに風化する」ということも改めてわかった。

悲しみや不安をいつまでも引きずるばかりではなく、一歩踏み出した震災の記憶と復興の足跡を、今後の防災研究に役立てたり、後世のために残したりする勇気と努力は必要であろう。
何が起きたのかを"長期記憶"として人の記憶に留めておくためには、リマインドやアーカイブ化(写真や動画などの資料を保存)は意味があることなのである。このことは、マーケティングの視点で見ると、ブランドを覚えてもらうためのヒントにもつながるのではないだろうか。