株式会社ジャパン・マーケティング・エージェンシー
DGI 室 ディレクター インタビュアー吉田 聖美

これは見よう、と決めて見ているテレビ番組はありますか?
そして、それはリアルタイムで見ていますか?
録画して撮り溜めて見ているよ、という人も多いのではないかと思います。その場合、CMはどうしていますか?
この間、友人と「最近CMをストレスに感じるようになってきた」という話になりました。昔は気にならなかったのに、です。その友人は、見ようと思っていた番組の時間帯に家にいて、リアルタイムで見ることが出来たのに、CMが嫌で、録画して後日見たとのことでした。
同じように昔はそこにかけている時間が気にならなかったのに、今はショートカットばかりしていることってあるのではないでしょうか。私の場合、典型的なのは「書店に行く頻度が減ったこと」です。Amazonの影響ですね。
時間が制約されないという魅力は大きいですが、弊害として本との思いがけない「出会い」が減っている気がします。Amazonでは、履歴から勧められた「自分向け(と思われる)」本に出会う機会はあっても「偶然に遭遇する」ことは少ないのではないでしょうか。しかも、Amazonを訪れるときは目的の本がはっきりしている場合も多く、寄り道は少ない気がします。
Amazonでもベストセラーはわかるよ、との声があるかもしれません。でも、知識として「この本が売れている」ということを知ることと、書店で得られるような「この本こんなに山積みにされていて注目されているんだな」という実感とはやはり距離があります。
寄り道が減って、「直線」距離を歩こうとしている一方で、「直感」的にものを買ってみることも減りました。Amazon、楽天トラベル、食べログ、価格.com、@コスメ、その他通販も含め、ちょっといいかなと思った商品も口コミが悪いと買うことを止めたりします。地図を持って寄り道をせず、石橋をたたきながら歩いているようなイメージ、無駄がないというよりも「余白」「遊び」がない感じで、ちょっと寂しいですね。
実は今回「余白」を取り上げたのは、「余白」がある人こそ、生活上級者であり、高感度者なのではないかと思っているからなのです。「遊び」を受容する余裕があって、「余白」の部分で得られる発見に気付くことが出来る視野の広い人は、自分の枠をドンドン広げていっている印象があります。
ここまで考えて、週末に書店に行ってみました。「目的の本を買う」といった「ショートカット」ではなく、「余白」があって可能になる「自分が買いたい本以外を眺めてみる」を実行してみました。
店頭を眺めていると、まず目が行ったのは、書籍の「帯」の充実ぶりです。帯が書籍表紙の3分の2を占めているものもあり、帯もパッケージデザインの一部であることを改めて感じます。色々なカテゴリーで、パッケージはもはやパッケージ(本体)だけではなくなっています。POPやおまけ、シール、首かけといった要素に購買行動が左右されることも多く、そういったものも広義のパッケージと言えますよね。
書籍本体のデザインが「長く愛されること」「身近においておくこと」も考慮されたデザインだとしたら、帯のデザインは「手に取ってもらうこと」を考慮したデザインです。その分、消費者の感情に訴え掛けてくるわかりやすいメッセージが目立ちます。
「時期・季節」を突いたメッセージも多く見かけました。大学受験コーナーにあった漫画の参考書の「ガマンしないでマンガで合格」という帯は、不安やストレスが増大しつつある今の時期の受験生の気持ちを突いていると思います。
「朝読にぴったり」という訴求が児童書に溢れていたことからは、朝活が母親層に広まってきているのかなとか、父親の育児参加熱が高まり、子供と夜時間を取るのが難しいお父さん向けのメッセージなのかな、とか、いやいや夜忙しくて時間が取れないのはもしかして習い事が沢山はいっている子供?とか、そのメッセージの背景にある社会的な状況を色々考えさせてくれました。
上記の行動は「やらなければいけないこと」ではありません。一見無駄な行動ではありますが、そこで発見することや、発見にまで繋がらなかったとしても刺激を受けることはきっとあるはず。忙しいときには忘れてしまいがちなのですが、そんなときにこそ、ふっと立ち止まって「余白」や「遊び」を持つようにしたいと思います。
書店の話が中心になってしまいましたが、冒頭のCMの話もそうです。何の気なしにCMを見ていて、自分が関わっているカテゴリーではないのに、このCMは気になった、そこには何か発見がありそうだと思いませんか?そしてその発見は、自分の「余白」がない状態でCMをスキップしてしまっていたらなかったはず、ですよね。